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マギのssと感想と考察のブログ。 CPは、シンジャとジュダ紅。アリモル・シャルヤム・スパピス要素あり。 公式とは一切関係ございません。
「……」
むっすりと押し黙った幼いマスルールが、卓上の小鉢に入っていた干しバナナをもそもそと口にしている。
マスルールが無口なのはいつものことだが、食欲旺盛な子供なのにいつもの勢いが無いのは珍しい。シンドバッドとジャーファルは、様子のおかしなマスルールを刺激しないように目で会話をした。
マスルールが単独行動をするのは、これが初めてではない。
冒険者であった頃のシンドバッド一行は、町に入ると、主であるシンドバッドが酒場と娼館に走ってしまう為に、必要物資の買い出しなどの己に割り振られた役目を果たせば、後は、自由に行動してよいことになっていた。
世話焼きおかんを発動したジャーファルは、マスルールの面倒をよく見たし、マスルールもジャーファルに懐いていたが、ジャーファルが繕い物や家計簿の計算などマスルールが手伝うことも出来ない細かい仕事に没頭している間は、マスルールがどこに出かけていたのか知らなかったし心配にはならなかった。
それに、迷宮攻略を果たして帰還する際には、攻略メンバーは時間も場所も様々な場所に飛ばされてしまうので、合流するまでの数日間独り旅状態になるので、慣れてもいた。
だから、今回、世間的に見たらまだ幼いと言える年齢のマスルールに独り旅をさせたのだ。その判断が間違っていたとは思わない。マスルールの旅装は1週間前と比べるとくたびれていたが目立った異常は無いし、外傷も無さそうだ。
そもそも、マスルールは、この歳にしてもはやシンドバッドより力が強く、大きな体格のヒナホホやドラコーンと腕相撲をしても互角の腕力を持つ。その上、脚力や瞬発力も凄まじいので、並みの大人では相手にならない。
マスルールの頭の中身は、旅慣れているとはいえ普通の子供なので、金銭関係のややこしいトラブルに巻き込まれたらどうしようもないが、そういうことには一切関わらないように、もし不可抗力で巻き込まれたならばすぐに報告するように、とジャーファルが教えているので、帰還後すぐの報告が無かったからには、そちら方面の心配はいらないだろう。
そして、マスルールは、故郷を尋ねた結果も、まだ教えてくれなかった。最初に一度2人の名を呼んだ後は無言で、ジャーファルが差し出した干しバナナをもそもそ食べるばかり。
ならば、これは、気持ちの問題に違いない。
目線だけの無言のやり取りでそういう結論に至ったシンドバッドとジャーファルの心は、この時1つになった。
よし、マスルールを甘やかそう!
「マスルール、風呂に入るぞ!」
マスルールが干しバナナを食べ尽くしたのを見計らって、シンドバッドが声を掛けた。
旅を終えて宿について、楽しみと言ったら、風呂と食事だ。空腹だったとしても干しバナナで紛れたはずなので、汚れを落としてさっぱりしてから夕飯を食べる方が気持ちよかろう、と考えたのだ。
マスルールが返事をする間も無く、先程からマスルールの荷を整理していたジャーファルが、着替えなど必要な品を3人分手際よく用意して、3人は風呂場に向かった。ここは、上等な宿なので、宿の中に風呂場があるのだ。
マスルールは、脱衣所まで着くと、訝しげにシンドバッドとジャーファルを見つめた。
貴重品を持っていける食事の場はともかく、入浴中は荷物の管理が出来ないので、通常、旅先での風呂は仲間全員一緒に入らない。交代制で、誰かが残って荷物の番をする。
なのに何故?
という疑問を口に出される前に読みとったジャーファルは、脱いだ服を畳みながら、マスルールを安心させる為に柔らかく笑いながら説明した。
「荷物は大丈夫だよ。猛毒を使った罠を仕掛けてあるからね。もし泥棒が来ても、部屋を出る前に、毒で悶絶して死んじゃうから、何も盗られたりしないよ」
「……そんな毒を持ち歩くなよ」
人畜無害そうな笑顔で物騒なことを口にするジャーファルに、シンドバッドが思わずツッコむ。
「ちゃんと管理していますから、怖いことなんて何もありませんよ。私に黙ってこっそり酒代を抜き取ろうなんて、泥棒みたいな真似をしない限りはね」
「……い、いや、俺は」
シンドバッドは、普段の威勢の良さはどこへやら、もごもごと気まずそうに呟いた。
シンドバッド一行の金は、主であるシンドバッドが自由にしていいのだが、それは、正当な理由がある場合のみだ。手持ちの金を全て飲み代で使ったので宿に泊れず野宿とか、酔っ払って道端で寝て財布を盗まれるとか、シンドバッドが酒の失敗を繰り返すので、一行の財布は、昔からジャーファルが管理していた。
なので、誰が稼いだ金でも収入は一度ジャーファルの手元に集められ、そこから、個人が自由にしていい分(いわゆるお小遣い)を分配され、その額を超える金が必要な場合はジャーファルに相談、という形式になっている。
シンドバッドが、「その土地を知るには、まずは酒を知らねば」などと嘯いて、甘くない甘酒のような地酒だのドライフルーツを蒸留した地酒だのを連夜飲み歩き、挙句に手持ちの金が無くなって、相談してもこれ以上飲む為の金はもらえないとわかっているからこっそり抜き取ろうとした、などという一国の王とは思えぬ所業を行い、発覚して盛大に叱られたのが一昨日だった。その結果、禁酒令が発令され、それは現在でも解除されていない。
「マスルール、君は、こんな大人になっちゃいけませんよ」
昨夜のことを思い出してこれ見よがしにため息を吐いたジャーファルは、マスルールの頭を撫でて浴室へ促した。
「なんだよ~。ちょっとくらいいいじゃねぇか」
ぶつぶつぼやきながら、シンドバッドもそれに続く。
主従を超えた気安いいつものやり取りを見て、マスルールは、強張っていた頬を少し緩めた。
この宿は、簡素な水浴が多いこの大陸では珍しく、パルテビア式の蒸気風呂があった。
蒸気が出る部屋で、蒸気を浴びて身体を温め汗を掻き、その後は湯で身体を洗い垢すりをする。
風呂には早めの時間だったので、他に客はおらず貸し切り状態だった。なので、3人はマスルールを挟む形で並んで座り、ぽつぽつと話をする。
「マスルール、内陸部で何か美味い物あったか?」
「あんまり……」
マスルールは、行き道、大河を渡る船を降りてからは、逸る気持ちとファナリスの脚力に任せて、走って移動していた。食事は携帯食料で寝るのも野宿だったが、ちっとも苦にならなかった。
帰り道のことは、意気消沈していて、よく覚えていない。期待で膨らんでいた胸に穴が空いたような心地になってしまうと、灼熱の太陽が照りつける昼間に走る気力が湧かず、陽射しがきつい時間は村の納屋で寝かせてもらって、夜に歩いた。
夜は暗いが、ファナリスは夜目が利く。だだっ広い平原には月や星の光を遮る物はないし、マスルールにとっては、迷宮生物でもない夜行性の動物など恐れるに足らない。
夜に1人で歩いても、怖くはなかった。
だが、胸に空いた穴から風が吹き抜けるような感覚が、辛かった。
「そうか。こっちはな、ドライフルーツの蒸留酒が美味かったから、輸入品目に加えることにした。やっぱりなぁ、現地に足を運んで試してみないとわからないことって、あるよなぁ」
シンドバッドは、ちらちらとジャーファルを見ながら言う。今夜はせっかくマスルールも帰ってきたことだし陽気に飲んで騒ぎたくて、怒ったジャーファルが言い渡した禁酒令を何とか撤廃してもらおうと必死なのだ。
国王が臣下に禁酒を命じられて従うというのはおかしな話だが、シンドバッドが国を作る前から酒でやらかした粗相の後始末をしてきたのはジャーファルなので、この件に関してシンドバッドはジャーファルに頭が上がらなかった。
「……2杯までなら飲んでもいいですよ。言いつけを破って泥酔したら、明日はあんた置き去りにして私たちだけで船に乗りますけどね」
ジャーファルは誰よりシンドバッドに対して厳しいが、同時に甘い。
眉を顰めてため息を吐きつつも、ろくな物を食べていなかった様子のマスルールに楽しい席で美味しい物をたくさん食べさせてやりたいこともあって、結局は赦してしまった。
「うんうん! 俺、良い子だから、言いつけ守るぞ!」
「いい歳こいて良い子とか言ってんじゃねぇよ。それに、あんたのどこが良い子? 良い子っていうのは、マスルールみたいな子を言うんですよ! さ、マスルール、髪を洗ってあげるね」
ジャーファルが、マスルールの手を引いて立ち上がり洗い場に移動すると、シンドバッドも立ち上がった。
「待てジャーファル、マスルールの髪は俺が洗ってやる! だからお前は俺の髪を洗ってくれよ」
ジャーファルと手を繋いで歩きながら、マスルールは、風が吹き抜けていた胸の穴が塞がれたことに気がついた。
シシカイの実を粉にした物を湯に溶いて、それを頭皮に塗りつけてマッサージをして洗髪する。
座る順番は、マスルール、シンドバッド、ジャーファルだ。
「マスルール、痒い所は無いか?」
「……右の耳の、上」
マスルールは、シンドバッドによって剣奴から救われた当初から、一般常識には欠けていたものの自立していたので、怪我をして手が使えないわけでもないのに、こんなふうに風呂で世話を焼かれることは多くなかった。なので、なんだかくすぐったい。
シシカイの洗髪料は目に入るとひどく染みるので固く目を閉じているのだが、そうすると、ただでさえ敏感なファナリスの五感が研ぎ澄まされてしまう。
水音。香油の匂い。湯の熱さ。シンドバッドの大きな手は、人の肌に触れるのにちょうどよい力加減をよく知っていて、頭皮をマッサージされると眠気を催すほど気持ちがいい。
身体が気持ち良くなるにつれて、1週間の独り旅で強張った心も解けていくようだ。
「よし、きれいになったぞ!」
湯で髪を洗い流されて、一瞬眠っていたマスルールは我に返った。
目を開けて振り向くと、ジャーファルに洗髪してもらっている最中のシンドバッドが、ニコニコと笑っている。シンドバッドの金色の瞳は強い力を湛えていて、敵を睥睨すれば場の温度が変わるような威圧感を感じさせるが、今は、春の陽のようだ。
マスルールは、なんだか、胸の内側がむず痒いような心地がして、立ち上がる。
「俺も、します。ジャーファルさんの髪、洗います」
「じゃあ、お願いするよ。ありがとう、マスルール」
ジャーファルがにっこり笑う。ジャーファルの瞳は闇の色をしているが、独り旅の帰路で見上げた夜空よりも温かい色味だと、マスルールは思った。
マスルールは、シシカイの洗髪料をジャーファルの頭皮に塗りつけて、慎重に揉み始める。
剣奴から解放された当初、マスルールは、人に触れるのが怖かった。
その頃のマスルールは力の調節が下手で、他者に傷つけられることには慣れていたが、他者に優しくされることに慣れていなかったし、他者に優しくするのはもっと不慣れだった。だから、怖かった。大切な相手を傷つけ壊してしまいそうな己の力に、怯えていたのだ。
だが、シンドバッドが、ジャーファルが、ヒナホホが、ドラコーンが、何の躊躇いも無く触れてくれた。そして、彼らはマスルールがどんな失敗をしようと決して見捨てたりしなかったので、心から怯えや強張りが拭われたマスルールは、自然と、力の調節が上手になった。
「マスルール、上手だよ。気持ちいい」
目を細めたジャーファルが、うっとりと呟く。
「ジャーファルばっかりずるいぞ。マスルール、その次は俺の背中を流してくれ!」
「っす」
「マスルール、まだダメだよ。もう少し拭かないと」
髪から滴を滴らせたまま脱衣所を出て行こうとするマスルールを引きとめたジャーファルが、己の髪より先にマスルールの髪を拭いている。マスルールは、熱気が籠る脱衣所から早く出て行きたい様子だが、むすっと口元を引き結びながらも、大人しくされるがままになっていた。
その様が微笑ましくて、シンドバッドが笑う。
「マスルールは、ジャーファルお母さんの言うことを素直に聞いて、偉いな。でもジャーファル、この気温なら髪なんかすぐ乾くから、そこそこで解放してやれよ」
「誰が『お母さん』ですか! バカなこと言ってないで、あなたは自分の髪をちゃんと乾かしなさい。王の威厳を保つ為に私たちが日々努力しているのに、旅先で粗雑に扱ったせいで髪が荒れ果てたなんて許しませんからね」
艶やかな長い髪を維持するには、素質以外に手間が必要だ。故に、男性の場合、国によっては富や余裕の象徴ともなる。
シンドリアは、民には元難民が多いし何しろ暑いので、男で髪が長い者はそう多くなく、手入れの行き届いた艶やかな長髪となると更に少ない。なので、シンドバッドの艶やかな長い髪は、王の権威を象徴するのに役立っているのだ。
シンドバッドが長い髪を美しく維持してこれたのは、髪質の良さもあるが、ジャーファルや女官の努力のおかげだった。実際、ジャーファルと1年近く別行動となった魔力操作の修行直後は、枝毛こそ無かったものの毛先がぱさぱさになってしまっていて、再会したジャーファルは、酷く嘆いたものだ。
「手入れは俺には無理だ。ジャーファル、やってくれ」
「もう、わかりましたよ。マスルール、部屋に戻って、毒で悶絶してる泥棒がいないか確認してきてくれるかい? もしいたら、荷物の中の予備の紐で縛っておいてね」
「うす」
ジャーファルの腕の中から解放されたマスルールは、こくんと頷いた。
「ジャーファル、早くー」
「はいはい、ただいま」
臆面も無く甘えるシンドバッドに、呆れた様子を装いながらも、ジャーファルは嬉しそうだ。
2人のやり取りも流れる空気も、主従というより家族のように気安くて、マスルールの胸がほこほこ温かくなった。
「マスルール、美味いか?」
「っす!」
「そうかそうか。いっぱい食え」
食事は、ゆったり寛ぎたかったので、部屋へ運んでもらった。
気に入りのドライフルーツの蒸留酒を呷りながら、シンドバッドが満足げに微笑む。マスルールは、干しバナナを食べていた時の様子などどこへやら、かなりのハイスピードで、肉とオクラのシチューが入ったタジン鍋を空にしていく。
辿りついた故郷には、動物の姿はあれど、ファナリスは1人もいなかった。その事実を思い知らされてから、何を口にしても砂を噛んだような感じだったのに、このシチューは美味いと感じられた。
「マスルール、クスクスが顔についてるよ」
柔らかく笑いながらジャーファルが手を伸ばしてきたので、マスルールはスプーンを握り締めたまま動きを止める。白い指が、頬に飛び散ったクスクスを優しく拭ってくれた。
「落ち着いて食べていいんだよ。出発は明日の昼前で、荷物はもう纏まっているから、私と君は、今夜ぐっすり寝られるからね」
「ん? 俺は寝られんような言い草だな、ジャーファル。さすがの俺も、今夜は酒場に繰り出したりせず、お前らと一緒に寝るぞ。明日の朝早いしな」
シンドバッドが怪訝そうにすると、ジャーファルが眉を潜めた。
「ダメですよ。あんた、私が確認してサインしといてくれって言った市場の契約書、手を付けてないでしょ? 今夜中にやってもらいますよ」
「いや、読んでサインしたぞ。昨日の昼に」
「その後変更が出たと報告したでしょう? だから確認してくださいって、昨日の夜、私は言いましたよ!」
「えっ………あー、そう言えば。いやでも、確認だけなら明日の朝すれば」
言われてやっと思い出したシンドバッドは、詰め寄るジャーファルから視線を逸らす。
「朝早いって自分で今おっしゃったでしょうが。今夜は、終わるまで寝かせませんからね」
「寝かせないなんて、ジャーファルくん情熱的~」
「あァ? バカなこと言ってないで仕事しろ!」
大雑把なシンドバッド。真面目なジャーファル。シンドバッドがからかって、ジャーファルが怒って。
それは、あまりにも見慣れたマスルールの日常の光景だ。あの、人気の無い故郷の姿とは大違いの。地平線まで続く雄大な平原を夕陽が赤く染める様は雄大で美しかったが、どうしようもなく寂しかった。
マスルールは、長い間、故郷に憧れを抱いていた。
剣奴時代には、もし故郷に帰れたら、という夢想の甘さに縋って己の心を守っていた。シンドバッドの仲間になって多くの幸せを知ってからは、その夢想は少し姿を変え、シンドバッドの父性的行動やジャーファルの母性的行動から、『自分の親もこんなふうかもしれない』と想像してみるようになった。
現実的には、奴隷商人に狩られただろう親と生きて再会できる見込みがほとんど無いことは理解していたが、『シンドバッドのような鷹揚な父親とジャーファルのような世話焼きの母親』という想像は楽しかったし、実の両親とは生涯会えずとも、故郷に帰りさえすれば、実の両親のことを知る誰かには会えるのではなかろうか、という期待はあった。
だから、胸を膨らませたその期待の大きさの分、ぽっかりと穴が空いてしまったのだ。
けれど、今、その穴は急速に埋まりつつある。
食後に甘いミントティーを啜りながら3人でゆっくり話をする頃になると、固く冷たく強張っていたマスルールの心はすっかり解けて温かくなっていた。心情が表情筋に影響しない性質なので一見して判別し辛いが、もしマスルールが犬だったなら尻尾をぶんぶん振っていただろうし、猫だったならごろごろ喉を鳴らしていたに違いない。
「マスルール、シンドリアに帰ったら、シャルルカンと一緒に、ヤムライハの部屋の模様替えを手伝ってくれますか?」
「っす」
デザートは、オレンジウォーターで香りをつけたナツメヤシのペーストを入れた揚げ菓子だ。シチューをたらふく食べたというのに、マスルールは、この菓子もぱくぱくと平らげていく。
シャルルカンとヤムライハは、シンドリアが出来てからシンドバッドが迎えた幼い食客で、シンドリアに来たばかりの頃は沈んだ様子だったものの、今では、シンドバッドを敬愛し、ジャーファルに懐き、シンドリアを第二の故郷として愛している。
マスルールは、最初、同年代の相手とのつきあい方がわからずに戸惑っていたのだが、今ではすっかり打ち解けていた。
「季節外れの大掃除でもするのか?」
「違います。しばらく前にヤムライハの部屋に行ったら本棚から本がはみ出て積んであったので、家具職人に新しい本棚を注文しておいたんです。あの娘の部屋の本は、今後ますます増えるでしょうから、大きな本棚が必要です」
「なるほど。ああそうだ、マスルール、お前、市場でドラコーンの奥方の重い荷物を家まで持ってやったんだってな。ドラコーンがお礼を言ってたぞ」
「そうなの? 偉いね、マスルール」
「普通っす」
ドラコーンは苦楽を共にした旅の仲間で、シンドリア建国後に待たせていた婚約者を呼び寄せて盛大に式を挙げた。奥方は上品な淑女だが、ドラコーンを尻に敷くほどしっかりしていて、聡明だ。彼女は、口下手なマスルールの意を上手に察してくれるので、マスルールにとっては案外居心地がいい相手だった。
「ヒナホホの息子が森で木から降りられなくなってた時も、お前、助けてやったんだろ?」
「抱えて飛び降りただけっす」
ヒナホホの子供はイムチャック族の常として図体こそ大きいが、中身はヤンチャで幼い。
一行の最年少として扱われてきた末っ子気質のマスルールは、自分より年下の子供が少々苦手だが、彼らは中身は子供でも身体が大きくて頑丈で力加減をそんなに気にする必要も無いので、気軽に接せられる相手だった。
「マスルールは優しい子だね」
戦いの場では隙なく鏢を操って敵を屠るジャーファルの手が、マスルールの頭を優しく撫でてくれる。
「……普通っす」
傷とペンダコが目立つ白い手は、少し冷たい。
もっと撫でて欲しくて目を閉じると、温かくて大きな手の感触が加わった。
「マスルールは、優しくていい子だ。俺もジャーファルもヒナホホもドラコーンもヤムライハもシャルルカンも、みーんな、お前のことが大好きだよ。皆が、お前の家族だよ」
シンドバッドの声が、マスルールの胸の中でこだまする。
かつて、マスルールは独りだった。だからこそ、同族の存在に夢を見た。
だが、今は知っている。人種が違おうとわかり合えるし、愛し合えるし、家族になれる、ということを。
「~っ」
口下手なマスルールは、こんな時、何を言えばいいのかわからない。自分を受け入れて愛してくれる優しくて愛しい人々に、どうしたらこの胸を満たす嬉しさを伝えることが出来るのだろうか。
言葉の代わりに、マスルールの閉じた瞼から、熱い滴が零れた。
「こきょう、だれも、いなかった、す。おれ、おれは、しんさん、と、じゃーふぁる、さん、と、ず、っと、ずっと………」
喉の奥からせり上げてくる熱い何かに邪魔されて、上手にしゃべることが出来ない。それでも、伝えたくて、途切れ途切れに言葉を連ねていく。
「うん! うん、ずっと一緒だよ、マスルール!」
「ああ。俺たちは家族だから、ずぅっと一緒だぞ!」
ジャーファルとシンドバッドが、わかってくれて、マスルールを抱き締めてくれたから、マスルールも手を伸ばして2人を抱き締めた。
穏やかな息遣いが並んで2つ聞こえてくる、灯りの消えた静かな部屋。
もぞもぞと寝台に上がり込んでくる気配で、思いの外深く寝入っていたジャーファルは、目を覚ました。
「シン……お疲れ様です」
「オイ、訂正と補足を書き足したのは誰だ? 解読が大変だったぞ。字が汚いにも程があるだろ!」
ぐっすり眠っているマスルールを起こさないように、2人は小声で会話する。
珍しく泣いて疲れたマスルールは、寝台に入るとすぐ、眠りに落ちた。マスルールに添い寝していたジャーファルは、本当は、寝かせた後でシンドバッドの手伝いに行くつもりだったのだが、マスルールがジャーファルの服を握りしめていたので、その手を振り払うのは忍びなくなり、諦めて、寝台でシンドバッドを待っているうちに眠ってしまったのだった。
「あの酷い字を書いたのは、市場の自警団の団長ですよ。キレイな字なら、私が内容を要約して説明しましたけど、あの悪筆なので、あなたにも読んで確認して欲しかったんです。内容は、何か問題ありました?」
「無いな。訂正と補足は適切だった。団長は有能だな。けど、今度からは別の人物に代筆を頼んで欲しいもんだ」
「確かに」
ぶつぶつ文句を言いながら、シンドバッドは、マスルールの隣で横になる。
上等な宿なので寝台は大きめだが、マスルールが子供でジャーファルが細みの少年とはいえ、3人で寝転がるのはさすがに狭い。けれど、この部屋に寝台は2つあるのに、もう1つの寝台で1人で寝る気にはなれなかった。
今夜だけは、どんなに狭くとも、冒険者だった頃の野宿の夜のように、3人で寄り添って眠りたい。
ジャーファルも同じ気持ちらしく、寝台には、狭いながらも、シンドバッドの為のスペースがあった。
「シン、私、宿の女将にハリッサの作り方を教わりました」
シンドバッドが潜り込んできたせいで乱れた毛布を掛け直しながら、ジャーファルがぽつりと呟く。
「ハリッサ? ああ、この辺り独特の唐辛子のペーストか」
「ええ。一昨日、あなたが農園のご主人にもてなされていた間、農園で働いてたトランの若者と話をしたんですけど、昔、トランの民の村とファナリスの集落には、少しだけ交流があったんですって。それで、ファナリスはハバネロでハリッサを作っていたそうなんです」
「………そうか。じゃあ、持って帰ったハバネロがうまく育ったら、是非作ってみてくれ」
「ええ。ファナリスに直接習ったわけではありませんから、同じ味ではないかもしれませんけど、マスルールの故郷の味に少しは近い物が出来ると思います」
ジャーファルは、故郷を知らない。
物心付く頃にはもう、暗殺の訓練を受けていた。暗殺教団は、時折、人買いから暗殺者に仕込む為の子供を買っていたので、肌や髪の色から察するに、自分は北方から人買いにつれて来られたのだろう、と推測するのみだ。
幼い頃のジャーファルの周囲には、完成された暗殺者である『大人』か、訓練を受け時に脱落して死んでいく『子供』しかいなかった。ジャーファルは、『子供』には郷の外に『故郷』なるものがあるのは知っていたが、『故郷』に強く執着する子供は大抵生き残れなかったので、『故郷』をそんなに良いモノだとは思えず、憧れを抱くこともなかった。
なので、シンドバッドがシンドリアを建国し、「今日からこの国が俺たちの帰る場所だ。故郷だ」と宣言した時には、素直にその言葉を受け止めた。
そんなジャーファルには、まだ見ぬ故郷に夢を馳せたマスルールの気持ちは実感し辛い。けれど、それでも、マスルールの気持ちを慮って優しくすることは出来た。
それが少し切なくて、けれどとても嬉しくて。
寝転がっていたシンドバッドは、ゆっくりと身を起こして、ジャーファルに口づける。すぐ隣でマスルールが眠っているので、あくまで軽く。けれど、気持ちはたっぷり籠めて。
「マスルールと、ヤムライハと、シャルルカンと、国民と、なんとも子だくさんだが、これからもよろしくな、ジャーファル母さん」
「はいはい。なら、子供たちの為にも、お酒や女性は控えてお仕事に励んでくださいね、シンドバッドお父さん」
堪え切れずに小さく笑ってから、シンドリアの父と母は、赤毛の子供を間に挟んで眠った。
安らかにお眠り、愛しい子。
故郷が無くなっても、同族がいなくても、もう大丈夫。さぁ、『家』に帰ろう。
独りぼっちの剣奴が夢見た『家族』は、ここにいるからね。
《おまけ》
シンドリアに帰ってきて、1週間後。
ヤムライハの部屋の模様替えで、本を整理すると書庫所有の本が多数含まれていたことが発覚した為、模様替えの次には、書庫の整理が始まってしまった。
マスルールは、読むのも書くのも苦手で、シンドバッドの冒険書以外の書物に用事が無いし、カビ臭い書庫なんて嫌いだ。
だがしかし、、帰国後ドライパパゴレッヤの輸出体制の整備やハバネロの苗を預けた農園主との打ち合わせに忙しくしているシンドバッドとジャーファルに「マスルールの力で本棚を動かして、書庫の整理を手伝ってやってくれ」と頼まれては、真面目にやらないわけにはいかない。
ヤムライハや黒坪塔の女官たちと共に(シャルルカンは模様替えは手伝ったが、書庫整理は逃げ出した)、マスルールは頑張った。
愛する家族の役に立てる喜びを糧に、本棚の移動という得意分野だけではなく、背表紙の番号に従って本を並べたり掃除をしたりという苦手分野でも、出来る限り働いた。
夕食後も続けていたその作業も今さっきにやっと終わり、マスルールは、2人に褒めてもらえるかも、という期待を胸に、書庫整理完了を報告すべく、シンドバッドの私室を訪れたのだが………
「あァんっ! やぁっ、シン……もぉダメぇ! 私、もう出ないですってばぁ!」
「じゃあドライオーガズムに挑戦だな! やっと、仕事が一段落付いたんだ。ジャーファル、今夜は寝かさんから覚悟しろ! ほらほら、お前はココが好きだよな!」
「ふぁっ! そこ、イヤぁ!」
「!!?」
横着して窓から入ろうとした為に、敬愛する2人の『家族愛』の範疇に収まらない激しい性交を目撃してしまった思春期のマスルールは、どうしようもなく混乱してしまって、………泣きながら家出したのであった。
『家出』とは、『家』と『家族』を持つ者のみに可能なことである。
《了》
ちゃぷん。ぴちょん。
白い指先が水面を弾く度、広い浴室に水音が響く。
「イイ香り……」
指先がつつっと撫でたのは、湯舟にぷかぷかと浮かぶ真っ赤なりんごだった。
「美しいお肌になりますように」
呟いたのは、煉 紅玉。
紅玉は、努力を重ね、昔は誰からも忘れ去られ、幽鬼と疑われる程みすぼらしかったとは思えないほど、変貌を遂げた。
長い紅の髪は毎日香油を塗り込まれて艶やかになり、顔立ちは、幼い頃は表情がぎこちなかったせいでイマイチという評価で、現在でも美貌というよりは可愛いタイプだが、化粧の技術を磨いて、皇女衣装に負けぬ華やかさを整えている。
勉学は苦手だが、礼儀作法は一通り修め、美容には常に気を配り、武道は特に力を入れて頑張った。
かといってがさつにならぬよう、振る舞いにも気を付けている。
マギたるジュダルの導きもあって見事迷宮攻略を成し遂げた今、紅玉は、皇宮に確かな地位を築いていた。
心を開示する術より先に、この皇宮で生き抜くのに必要な去勢の張り方を覚えてしまったので、まだ『友達』と呼べる存在はいないが、昔に比べたらずっとマシだ。
もう下男下女に怯えたりすることはないし、従者たる夏黄文は眷属で、確固たる絆で結ばれている。
見た目を精一杯整えて、勇気を振り絞って挨拶をすれば、迷宮攻略者として名を馳せる紅炎・紅明・紅覇という兄たちも、紅玉の存在に気づいてくれたし、同じ攻略者となってからは、一目置いてくれている。
歳若い女性皇族の攻略者ということで何かと対比されがちな白瑛のことは虫が好かないが、その弟の白龍とは普通につきあっていた。
政略結婚で嫁がされた姉姫たちには、いまだに苦手意識が残っているが、もはや皇宮を去った彼女らと、迷宮を攻略してジンの主となった紅玉では、周囲から見た重要度が全く違う。姉姫たちは顔を見る度に嫌味を言ってくるし、幼い頃の刷り込みでうまく言い返せないので、やはり嫌いだが、今の紅玉には味方がいるから大丈夫だ。
夏黄文と、お兄様方と、それから……
「……ジュダルちゃん」
「おお。よくわかったな。魔法で音消してたのに」
ぼーっと考え事をしていた紅玉が、突然後ろから聞こえた声に驚いて振り向くと、そこにはジュダルがいた。
「えっ!? ジュダルちゃん!?」
双方とも、貴人の入浴時の習慣として湯浴み着を纏っているから裸ではないが、濡れて肌に貼りついた湯浴み着には何とも言えぬ風情があり、年頃の男女ならば意識して当然の格好だ。
しかし、紅玉の驚きは、単に、いつの間にか側に居たことへの驚きだけであったし、ジュダルも平然としていた。
若い男女としておかしな事態なのだが、純粋培養され過ぎて奥手を通り越して天然が入っている紅玉は、むしろ相手が憧れの対象である長兄紅炎だったならば、大層乙女らしい反応を見せただろうに、ジュダルに対しては平然としていた。
何故、こんなことになっているのか?
かつて、りんごをもらった後、ジュダルは、紅玉の宮を散歩の定番コースに組み込んだ。その結果、2人は、毎日とは言わないまでも、かなりの頻度で顔を合わせるようになった。
ジュダルが気に入っている皇族は他にも居たが、彼らは、権力の分責任の重みも背負っていて、日々やるべきことがあり、忙しい。
対して、夏黄文以外の誰からも期待されていない紅玉は、己を向上させる為の努力は惜しみなく行っていたが、それは、〆切や期日に追われるようなものではなかった。
それに、紅玉を指導していた夏黄文にとって、ジュダルは、生意気でワガママで腹の立つ子供だが、社交性の低い紅玉が己から自主的に絆を結ぶことが出来た唯一の相手であり、皇帝や皇太子という存在に繋がる重要な縁でもあったので、勉学も鍛錬も、ジュダルが遊びに来ると中断せざるを得なかった。
紅玉は世間知らずで無知で、話術どころか最初の頃の会話は片言に近かったが、下手したら何百年と生きていそうな組織の連中に育てられたジュダル(一度玉艶に歳を尋ねたら、絶対零度の微笑みで二度としないことを約束させられた。大人の言いつけなぞ聞きたくないジュダルだが、さすがに、大魔女に本気の仕置きを喰らうのはゴメンである)にとっては、自分が物を教えることが出来る数少ない相手であり、反応が素直で何でも信じるので、からかう楽しみがある相手であった。
それに、ジュダル本人は気づいてはいなかったが、彼の周りに居て、彼がマギであることに重きを置いていないのは、紅玉ただ一人であったのだ。
世界にたった三人のマギのみが、無尽蔵にルフを集めることが出来、迷宮を出現させられる。
かつて、初めて迷宮を攻略して世界の在り方を変えたのはシンドバッドだが、その迷宮を出現させシンドバッドに挑戦を促したのは、マギであるユナンだった。
その後、気紛れにユナンが出した迷宮、それへの対応手段としてシェヘラザードが出した迷宮、組織の要請を受けてジュダルが出した迷宮が、どれだけ、この世界の歴史に影響を齎したことか。
その胸に野望や理想や悲願を抱く者は、決して、ジュダルがマギであることを無視出来ない。
だから、野望も理想も悲願も持たぬ、乙女らしいふわふわした夢ぐらいしか持たない紅玉と共にいる時間は、ジュダルにとって、肩の力が抜ける時間でもあった。
……なので、距離感を間違えて接し、比較対象を持たない紅玉は違和感を感じず、権力におもねる夏黄文は諌めることが出来なかったのだろう。
現在のジュダルと紅玉は、全裸二歩手前(一歩手前は葉っぱである)の格好でくっつきあっても、疑問を感じないようになってしまった。
湯舟の中をじゃぶじゃぶと歩いてきたジュダルは、紅玉を後ろから抱き締めるように腕を回し、紅玉の細い肩の上に頭を乗せた。
「ババア、なんでりんごなんだよ」
「ババアじゃないわよぉ! あのね、りんごには美肌効果があるの! 前にジュダルちゃんが私を騙した嘘の美肌風呂とは違うんだから! それに、イイ匂いじゃないのぉ」
純真可憐な乙女であるはずの紅玉は、少し顔を傾けたら唇が触れ合いそうな距離にいるジュダルに全く焦らず、いそいそとジュダルの髪を解き始めた。
ジュダルは、自慢にしている産まれて一度も切ったことがない髪を紅玉に預けて、湯に浮かぶりんごを一つ捕まえる。
「りんごは食う方がいいだろ?」
「食べてもいいけど、お風呂に使うのもいいのよぉ。ほらぁ、りんごの香りのお茶とかあるじゃない?7」
三つ編みを解かれたジュダルの髪が、ゆらゆらと湯の中に広がった。
ジュダルは、捕まえたりんごに齧り付く。
「……ぬるい。おい、ぬるいぞ、このりんご」
「お湯に浸かっているのだもの、それはぬるいわよぉ」
「果物ってのは、よく冷やすか、反対に甘く煮て温めるのが、正しい食い方じゃねぇのか? ぬるいりんごってどうなんだよ?」
「んもぉ。だから、このりんごは、食べる為じゃなくて、お肌の為にお湯に入れてるのよぉ」
「うっせぇ。お前も食え」
自分が勝手に入ってきて勝手に食べたくせに、ジュダルは文句を連ね、挙句、紅玉の口元に、齧った痕があるりんごを突きつけた。
他者の食べかけの物を食べる習慣なんてない紅玉だが、ジュダルだけはその範疇外で、一緒に食事をする際に、自分の嫌いなおかずや食材を紅玉の皿に乗せてきたり、紅玉が最後のとっておきの一口の為に取っておいた好物を食べられたりするのはよくあることだったので、気にならなくなっていた。
例えるならば、猫との口づけは口づけに数えず、みたいな感覚である。
紅玉にとって、ジュダルは、男でも女でもなく、性別:ジュダルちゃん、であった。
なので、こうしないとジュダルが退いてくれないことぉ知っている紅玉は、唇にくっつけられたりんごを、一口齧る。
「ぬるいわ」
「だろ?」
「じゃあ、ジュダルちゃん、明日もうちの宮に遊びに来たら、お湯に入れずに冷やしておいたりんごを用意しておくわ。そうよ、私が、りんごをうさぎにしてあげるわぁ!」
『りんごをうさぎにする』という表現は、最近紅玉が読んだ少女向け読み物に出てきて、なんだか可愛らしいから使ってやろうと思っていた所だったので、紅玉は得意げな顔をする。
「ババアが? 出来んのかよ?」
ジュダルの心配は最もだった。
紅玉は迷宮攻略という冒険を成し遂げたものの、将軍職を賜り遠征の多い白瑛などと比べると、格段に世間知らずだ。
迷宮内での食事は携帯食料でほとんど済ませたし、料理をする必要がある時は当然夏黄文が行ったので、紅玉は料理をしたことが無い。
しかし、シンドバッドの冒険書の愛読者であり、頑張り屋の紅玉は、やる気満々だった。
「剣が使えるのだから、刃物には慣れていてよ。だから、問題は、練習よぉ。明日、ジュダルちゃんが来るまでに、練習しておくわぁ」
夏黄文が聞いたら頭を抱えそうな台詞を放つ紅玉。しかし、さすがの夏黄文も、少女である主の入浴中にツッコミを入れに来るのは、不可能であった。
ジュダルが一緒に入浴しているのが問題にならないのは、性別:ジュダルちゃんだからであって、腹心の侍従と言えど、男女で越えられない壁はある。
「マジかよ。うさぎりんごとか、バッカみてぇ」
「じゃあ、ジュダルちゃんは、ぬるいりんごを齧ってなさい! 私が、冷やしたうさぎりんごを食べる横で!」
「んだよ~。おれのりんごもうさぎにしろよ~」
腹を立てた紅玉が、肩の上に乗っていたジュダルの頭をぐいっと押しやると、ジュダルは、紅玉の髪をつんつん引っ張って、猫撫で声を出した。
そういう声を出されると、紅玉は弱い。
何せ、ジュダルは、友達がいない紅玉にとって、ほとんど唯一の、己の宮に遊びに来てくれる『お客様』なのだ。
兄たちと親交があると言っても、向こうが手の空いた時に会食や茶に招かれたりする程度で、兄たちの宮の方が、当然、調度品やら何やらの設えは上だ。その為、使いの者ではない彼ら自身が直接この宮に訪ねて来てくれたことは、まだ一度も無い。
ジュダルが組織の仕事などで皇宮を長く留守にすると、紅玉は、それはもう寂しい想いをしていた。
なので、どれだけジュダルにからかわれても、紅玉の怒りは長く続かないのだ。
「んもぉ、じゃあ、しょうがないから、ジュダルちゃんのりんごもうさぎにしてあげるわぁ」
言葉では仕方が無いふうを装いながらも、紅玉は、口元に笑みがこみ上げるのを抑えきれなかった。
だって、明日もまた、ジュダルが遊びにきてくれて、憧れの『りんごのうさぎ』をジュダルの為に作ってやるのだ。
捻くれ者のジュダルだが、もし紅玉が上手に作っていたら、もしかしたら、褒めてくれるかもしれない。
もし失敗したら、ジュダルが盛大にからかってくるに違いないが、それでも、一緒に食べてくれることだろう。
紅玉は、それが楽しみなのだった。
「ババア、そろそろ出ようぜ」
「ダメよぉ。髪を解いちゃったんだから、洗わないと! 私が洗ってあげるわぁ。だから、お返しに、ジュダルちゃんは私の髪を洗ってちょうだいねぇ」
「うぇ~、めんどうくせぇ~」
2人は、互いの髪やら身体やらに散々ベタベタ触って、しかし、今宵もまた、清く正しく入浴を終えた。
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