先週の本誌ネタのシンジャss。ネタばれ要素ありますので、ご注意を。
このシンジャは出来てます。いや、あのセリフ読んでたら、そんな人どっかで見たような、と思ってしまって。
スパークに持っていける既刊が数冊しかないので、なんとしても原稿落とせないのに〆切ヤバいです。
新刊は、ジャーファル先天的女体化で、シンドバッドにSEXするともげる呪いがかかり、ジャーファルが隠していた本来の性別がバレて、もうバレてしまったしさすがのシンも呪いが解けるまで自重するでしょうから子供の頃のように一緒に寝たい、とジャーファルが言い出したり、寝ぼけてぱふぱふ状態になっても手出しできない状態にシンドバッドが苦悩したり、実はジャーファルの初恋が封じられていたり、R指定だったりします。
要するに、先天的女体化のR18ラブコメです。
サンプルUP遅くなりそうですが、とらのあなさんとKブックスさんで書店委託予定です。
地上の楽園とすら謳われるシンドリアは、今宵、八人将ヤムライハと食客の帰還の宴で大いに盛り上がっていた。
苦難を乗り越えて築いた繁栄を謳歌するこの国の人々は、誰もが陽気で、食べ、飲み、踊り、歌い、大いに笑う。
そんな楽しい宴の中で特に盛り上がっていたのは、食客アリババを中心にした輪だ。
シャンバルと会話中でも彼らの様子が気になっていたシンドバッドは、賭け好きのシャンバルが闘パパゴラスを見に行くと、早速、アリババの元へ向かった。
「やぁ。皆、楽しそうだな。何の話をしていたんだ?」
「王様、聞いてください! アリババの奴、ついに彼女が出来たんです! 祝ってやってください!」
酔いも手伝って満面の笑顔のシャルルカンが差し出す杯を受け取りながら、シンドバッドは話を聞く。
なるほど、優しく責任感が強く賢いし商才もあって剣術も出来て元王子で王の器とハイスペックなのに何故かモテなかったアリババに、とうとう彼女が出来て、真剣な交際をしているらしい。
「そうか。それはおめでとう、アリババ君。君と彼女との未来に、幸多からんことを!」
「「幸多からんことを!」」
シンドバッドが寿ぎと共に杯を捧げると、周囲から唱和の声が相次いだ。
アリババは、それに照れたのか、自身の服の裾を握り締めながら俯く。
もしこの時、誰かがアリババの表情を確認していたら、祝福を受けているはずの彼が死んだ魚のような目をしていることに気づいたかもしれないが、酒が入った者たちはもちろん、飲酒していない者も、モルジアナは自身の胸にこみ上げてきた痛みに困惑していたし、アラジンですら雰囲気に酔っていたので、誰も気づくことはなかった。
だから、宴は一層盛り上がる。
大人たちは、マグノシュタットで仕入れてきた蒸留酒を飲んで、独特のピートのフレーバーについて議論を交わし、子供たちは、最近流行りの辛いアイスを食べては、口直しと言ってバクラヴァに手を伸ばした。
そのうち、幾度か杯を干したシンドバッドは、酔いも手伝って上機嫌で笑いながらアリババの背中をばしばし叩き出す。
「そうか~。わかる、わかるぞアリババ君!」
「……何がわかるんですか、シンドバッドさん?」
「体中傷だらけで、笑うとかわいくて、優しくて、怪我した時とか心配して一晩中看病してくれる相手が、どれほど大切かということを、俺は理解出来る! 料理も裁縫も上手で、文句を言いつつも甲斐甲斐しいって、いいよなぁ。最初は、そういう対象ではなかったかもしれない。わかりやすく煌びやかな花々に目を奪われて、傍らに居てくれる相手の想いの深さ真摯さに気づいていなかったかもしれない。だが、一度相手の掛替えの無さに気づけば、もう、その相手以外は選べない。……うん、そういうことはある」
しみじみと実感を籠めた口調で呟くシンドバッドに、周囲は目を丸くした。
だって、シンドバッドと言えば、七海一の女たらしとして世界的に有名だ。
自著のシンドバッドの冒険書にも数々のロマンスが記されているし、宴の席では踊り子さんたちにモテモテだし(今も踊り子さんたちがチラチラ見ている)、外交に訪れた国々でも稀代の女たらしとして数々の伝説(一夜明けたら6人の現地妻、などなど)を残している。
その上、結婚はしないと公言し、女を追いかけるのではなく女の方から近寄ってくるのだとはいえ、派手に遊んでいる。
そんな男が、純情な少年の真剣な交際について、己も同じように想う相手がいると言わんばかりに共感を示しているのだ。諸々の夜の覇王伝説を聞き知る皆が、この覇王の心をついに射止めた者がいるのでは、と興味を持たないはずが無い。
俯いていたアリババも思わず顔を上げたし、シンドバッドに近しい者たちはもっと驚いた。
「王様も、そういう方がいらっしゃるんですか!?」
「王妃ですか!? ついに、シンドリアにもお妃様が!?」
「えっ、王様ご結婚ですか!?」
「こらこら、落ち着けお前ら」
シャルルカンは杯を取り落としたことに気づかず、ヤムライハも帽子が落ちたことを気にせず、近くの席にいたピスティまで駆け寄ってきて、すごい勢いで詰め寄ってきたので、シンドバッドは笑いながら諌めた。
諌められたので大人しく座ったものの、恋話が大好物のピスティは、好奇心で目をキラキラさせている。
「だって~、王様がついに1人を選んだのなら、つまり、シンドリアにお妃様誕生ってことでしょ? 結婚式に出席する服を仕立てなくちゃ、ていうかお妃様の花嫁衣装どんなのだろ、てことでしょ?」
「違う違う。俺は結婚しないって、ずっと言ってるだろ?」
シンドバッドは余裕の笑顔だが、周囲は首を傾げた。
「いや、でも、さっきの王様の口ぶりだと……」
王の言葉を疑うつもりはないが納得出来なくて、シャルルカンが眉間に皺を寄せた。
先程王が語った内容は、どう考えても、一夜の相手などではなく長年つきあってきた特別な相手としか思えなかったからだ。
シャルルカンが周囲を見渡すと、同僚も弟子も同じ気持ちらしく、誰もが微妙な表情でシンドバッドを見つめていた。
「プロポーズは何年も前にやったが断られ、その後も幾度かチャレンジしたが、全て玉砕だ」
シンドバッドの発言で、またも周囲が騒然となる。
シンドバッドの顔立ちは男らしく整い、身体も均整が取れた逞しさ。紫紺の髪は艶やかで、豪奢な金属器の煌めきに負けない華やかな空気を身に纏っている。
頭脳は明晰で、世界で唯一7体ものジンに認められた王の器であり、一介の漁村の少年から始まって楽園と謳われる国を作り上げた手腕と人望の持ち主だ。
女性に対して気障な振る舞いはあるが根が気さくで、優しく、寛大。
いざという時の頼もしさは他者の追随を許さないレベルで、判断力と行動力は天下逸品であり、困った酒癖ですら国民には愛嬌として受け入れられている。
七海の覇王シンドバッドとは、男に産まれたならばこうありたい、女に産まれたならばこんな男に愛されてみたい、そういう思慕を捧げられまくっている存在なのだ。
隙が無いものは大衆受けしないことを考えると、欠点の存在も含めて完璧と言っても過言ではない稀代の色男シンドバッドが、よもや、プロポーズを何度も断られているなんて、と誰もが驚愕した。
シンドバッドが真剣に口説いて断り続ける女性がいる、というのがどうにも納得出来ない。
「あー、その、ええと、身分とかを気にして、ということですか?」
敬愛しまくっていてマジリスペクトと言い続けているシンドバッドのプロポーズが断られる、という事実を受け入れられないシャルルカンが、へどもどと尋ねる。
王様はモテる→ならば王様の真似をすれば女心は掴める、と考えてシンドバッドを手本にしているつもりのシャルルカンとしては、人生の指針を見失いそうで不安がこみ上げてきた。
「それはまぁありそうだが、俺がそういうのを気にしてないのは重々承知だから、あいつは、本当に、俺とは結婚したくないんだろう」
シンドバッドが、憂いに満ちたため息を吐いた。その姿は、数多の女性を恋に墜としてもおかしくない程に艶やかで、……どうにも、台詞と噛みあっていない。
「……もしかして、シンドバッド王の片想いですか?」
ヤムライハも、恐る恐る問いかけた。
八人将として側近く仕えている身としては、まるで性質の悪い魔法のように女性を虜にしていくシンドバッドが、近しくつきあいながらも靡かせることが出来ない女性がいるとは、どうにも信じ難いのだ。
「いや、この上無く愛されているぞ。ただ、結婚はダメらしい」
「? 独身主義者ってことですか?」
寛いだ風情に見せながらも実は心に分厚い鎧を纏って本心を隠している今宵のアリババも、あまりにも不可解な言動の数々に、思わず素の声が出た。
「そんなようなものだ。まぁ、結婚はダメでも生涯全力で愛してくれるのはわかっているから、形式に拘る事もないよな、と今は思っているよ。仕事の都合で物理的な距離が離れることがあっても、心は常に傍らに寄り添っていると知っているしな」
「でも……」
理屈は通っているはずなのに何となく納得出来なくて、ピスティは首を捻る。シンドバッドに魅了され忠節を捧げている身としては、この素敵な王を欲しがらない女がいる、という事実を受け入れ難いのだ。
シャルルカンやヤムライハやアリババも同じ気持ちらしく、微妙な表情をしていた。
マスルールだけが気にしていない様子なのが気にかかったピスティが、疑問を言葉にしようとしたところで、シンドバッドの後ろに白い人影が現れる。
「お楽しみ中、失礼いたします。シン様、シャンバル殿が魔力操作について言い忘れたことがあるとか」
慎ましやかな仕草で口元を隠して囁いたのは、シンドリア王国政務官のジャーファルである。
酔っ払えばかなりの酒乱(シャルルカンの口に酒瓶を突っ込んで酔い潰すレベル)になるジャーファルだが、国外の客人もいる今宵の宴で酔うつもりはないらしく、肌はいつもと同じで雪のように白い。
ジャーファルは、宴の浮かれた空気に染まる様子は無く、けれど穏やかに場を慈しんでいることがわかる独特の淡い笑みを唇に刷いていた。
そして、その笑みを浮かべたまま、どうなさいますかここに留まりたいなら私がどうにか言い繕っておきますけど、という意を籠めて小首を傾げたジャーファルを見つめて、シンドバッドはにっこり笑う。
「そうか! では、アリババ君、恋人に叱られない程度に宴を楽しんでくれたまえ!」
快活な笑顔で手を振りながら、シンドバッドは輪を去っていった。ジャーファルが、楚々とした風情でついていく。
「王様に逃げられちゃったね。もっと話聞きたかったのに」
「そのうち話してもらおうぜ。それより今は、アリババの話を聞いてやらねぇとな! おら、2人の出会いとか語れよアリババ!」
ピスティが残念そうに呟くと、シャルルカンは弟子の首をぐいっと引き寄せて笑顔で命じた。場の空気が、シンドバッドが登場する前に戻る。
「……『あいつ』との出会いっていっても、こう、ロマンチックな感じとかじゃなくて、剣を交えたと言いますか」
「おおーっ! いいねぇ! 詳しく話せよ!」
「剣!? トトさんと戦ったのかい、アリババ君?」
こうして、宴の夜は更けて行った。
「おはよう、ピスティ、モルジアナ。なぁ、アリババ君たちは、いったいどうしたんだ!?」
分厚い友情で結ばれた男たちが去ってから何となく黙ってしまった女性2人が、静かにシャコ貝のクリームスープを啜っていると、後ろから声を掛けられた。
シンドバッドだ。
「おはよ、王様」
「おはようございます」
シンドリアは自由な国なので、王にも、臣下たちと一緒の食堂で朝食を食す権利が与えられていた。シンドバッドは、その権利をのびのびと行使し、自室でゆったりと朝食を楽しんだり、食堂で皆と歓談しながら賑やかに食したり、徹夜明けの目を擦りながら執務室で栄養補給をしたり、と気分や都合に合わせていろんな場所で朝食を取っている。
今朝のシンドバッドは、昨夜シャンバルと飲み競争に興じてしまった為にアリババたちの輪に戻って来れなかったので、心荒む仕事の山と戦う前に、若人の初々しい交際の話でも聞かせてもらって微笑ましい気持ちになろうと思って、食堂にやってきたのだが……
「王様、アリババ君たちと会ったの?」
「食堂の入口ですれ違ったんだ。だが、何やら異様な雰囲気で、目を真っ赤にしたアリババ君は、俺の顔を見た途端号泣して走り出すし……」
「あー……」
察しのよいピスティは、すぐに、状況を正確に把握した。
他はハイスペックであってもこの方面においては残念で不器用な上に運が悪いアリババは、見栄が暴かれて心弱くなっている時に、他の方面でも超がいくつも付くハイスペックな上にこの方面にかけては生ける伝説であるシンドバッドと対面してしまって、運命の不公平さを感じざるを得なかったのだろう。
その上、シンドバッドは、昨日、アリババにとっては嘘で夢物語でしかなかった「恋人」を実際に手に入れていると語った男だ。両者の差は、埋め難い程に大きい。
かつてアリババが自身に流れる王族の血を特段意識していなかったように、シンドバッドも、己とアリババのモテ度の差異など気にしてはいないだろう。しかし、父親を嫌悪していたが故に己の血を呪っていたカシムが、アリババを見上げてその違いに絶望を感じたように、シンドバッドを見上げた今朝のアリババもまた、両者の絶望的な違いに打ちのめされずにはいられなかったのではなかろうか。
アリババは運命を呪わない。恨まない。
でもまぁ泣くぐらいはするよね、とピスティは生温い気持ちになった。
「ピスティ?」
「えーと、あのね、昨日の話はアリババ君の嘘だったんだって。お酒飲んでたから気が大きくなっちゃったんだろうね。あの「恋人」って、アリババ君の思い描く理想の恋人像なんじゃないかなぁ。だからね、嘘じゃなくてあんな「恋人」がいる王様に会って、ちょっと動揺しちゃったんだと思うよ」
「そうか」
ピスティの説明に、シンドバッドはあっさり頷いた。
伝説級のモテ男という運命に産まれたシンドバッドは、今のアリババと同じ気持ちを味わった経験は無いので共感は出来ないが、同性に羨まれることには慣れていたので、アリババが号泣した理由に想像がつき、すっきりした顔になってピスティの隣の席に腰掛けた。
その姿を見ながら、ピスティはぼんやりと考える。
アリババのように嘘を吐いたわけでないなら、王の「恋人」とやらは実在していることになる。そして、あの口ぶりならば、長く近しくつきあっているはず。
しかし、ピスティの知る限りでは、そんな女性は見当たらない。紫獅塔の女官かと考えて昨夜探りを入れてみたが、結果は芳しくなかった。
シンドバッドが最も重用している女官は、建国当初から仕えてくれている元バルバッド王宮勤務の女官長だが、彼女はシンドバッドの母と言うべき年代だ。シンドバッドの部屋付きの女官には若く見目麗しい者も多いが、だからこそ、 彼女らの間では抜け駆け禁止のルールがあったし、シンドバッドは彼女らに対して公平に振る舞っていた。
それに、王と政務官という間柄になってからも、最もシンドバッドの世話を焼いているのはジャーファルであり、シンドバッド自身も、ジャーファルに世話されているのが1番居心地良い様子。
執務室付きの文官は男性ばかりだし、執務室付きの女官は女官長と同年代だ。
けれど、恋愛毎に長けたピスティの勘が、昨日のシンドバッドの言葉に嘘はない、と確信しているので、混乱する。
シンドバッドの「恋人」は、一体、どこの誰なんだろう?
「おはよう、ピスティ、モルジアナ。シン、どうぞ」
2人分の朝食をトレイに載せて、ジャーファルが現れた。
朝シンドバッドを起こして支度を手伝うのは、ジャーファルの仕事である。
仕事が立て込んで徹夜した日の朝やシンドバッドが寝過ごしても大丈夫な休みの日の朝には、部屋付きの女官に任せることもあるが、平素は、朝議前の打ち合わせも兼ねてジャーファルが起こしに行き、王らしくなく1人で食事するのを嫌がるシンドバッドの意向で、朝食も一緒に取る。
シンドリア王宮の食堂では、朝は、厨房前のカウンターに並んで料理を受け取るセルフサービスになっている。だから、食堂で朝食を取る朝は、2人一緒に食堂に入り、ジャーファルが2人分の朝食を用意してくる。
今朝の食堂のメニューは、シャコ貝のクリームスープとピタパン。それだけで足りない者には、食堂中央の机に、パパゴレッヤとサラダと白身魚のマリネがビュッフェ形式で用意されている。
しかし、ジャーファルが手にしているのは、2人分のクリームスープと、焼き鯖と玉葱を挟んだ鯖サンドだった。
ジャーファルがシンドバッドとモルジアナの間に座ると、アリババの「恋人」の話が嘘だったことに関してしみじみと安堵を噛み締めていたモルジアナが、顔を上げる。
「おはようございます、ジャーファルさん……鯖?」
シンドバッドに手渡された鯖サンドを見て、首を捻る。さっき、いつもセルフサービスの料理が置いてある場所を見た時には、鯖はなかったはずだ。今朝は胸がいっぱいでスープだけしかもらわなかったが、本来、モルジアナはよく食べる。今朝も、食欲はあまり無いのにいつもの習慣でその場所に視線をやったから、ちゃんと覚えている。
いつの間に鯖が置かれたのだろうか? それとも、自分の覚え間違いか?
「ああ、シンが昨夜鯖サンドが食べたいと言っていたから、頼んでおいたんです。鯖自体はまだありますから、君が食べたいなら作ってきますよ、モルジアナ」
鯖サンドは、パルテビア港町の庶民食で、他所の国では王が口にするようなメニューではない。しかし、シンドバッドは、時々、昔を懐かしんで食べたがった。
「ジャーファルの鯖サンドは美味いぞ、モルジアナ。気になるなら、作ってもらえ」
「ジャーファルさん、料理上手だからねぇ」
ジャーファルの鯖サンドは、ソースが独特だ。ソースは、レモンの皮をすり下ろした物にレモン果汁と塩と唐辛子パウダーを入れて作る。このソースが、鯖の青臭さを抑えてあっさり食べさせてくれるのだ。
「え、ジャーファルさんが作ったのですか?」
「いやいやモルジアナ、鯖は料理長が焼いてくれてましたよ。私は、その後、少し手を加えただけです」
「なぁ、お前の鯖サンドのレシピ、教えろよ」
「嫌ですよ。パルテビアの人気屋台であなたが気に入ったとおっしゃるから、頼み込んで、口外法度の約束で教えてもらったんです。私は、約束を破ったりしません」
「ケチ」
「あんたと違って誠実なんですよ。それに、あんたが食べたい時は私が作るから、レシピを知る必要なんてないでしょ」
「外交先で食いたくなった時はどうすりゃいいんだよ」
「シンドリアに帰ってくるまで、我慢なさい。それに、外交先の宿泊施設の料理長に、鯖サンド作らせるつもりですか、あんたは」
「俺が自分で作るから、大丈夫だ。元漁師だから、魚捌くの得意だし」
「バカシン! あんたって人は、王の自覚を持てと私が普段あれだけ……」
いつも通りの、熟年夫婦みたいな主従のやり取りを聞きながら、昔作ってもらったジャーファルの鯖サンドの味を思い出していたピスティは、ふと、気づいた。
「………あ!」
思わず声を上げたのも無理は無い。
昨夜からずっと考え続けてきたシンドバッドの「恋人」の正体に、やっと、思い至ったのだ。
シンドバッドの「恋人」は、長く近しくつきあっていて、料理も裁縫も上手で、文句を言いつつも甲斐甲斐しく、体中傷だらけで乱暴なところもあるけれど優しくて、怪我をしたら一晩中看病してくれ、生涯全力で愛してくれるけど、結婚は断固拒否する人物。
その条件全てに当てはまる人が、目の前にいるではないか!
ピスティが勢いよく首を振って隣のシンドバッドを見つめると、シンドバッドはニヤっと笑った。
「愛しているぞ、ジャーファル! 結婚して、毎日俺の為に鯖サンドを作ってくれ!」
「シンっ! まだ寝惚けてんですか、あんたはっ!!」
4人目のマギであるアラジンが選んだアリババ王の「恋人」は、残念ながら捏造でした。彼が語ったのは、彼の夢であり理想だったのです。
けれど、彼はとてもいい人なので、いつかきっと、本物の「恋人」を手に入れることが出来るでしょう(赤毛の健気な少女とかね)。
若き彼の未来に幸あれ!
さて、一方、七海の覇王の「恋人」は、そばかすで、仕事中毒で、元暗殺者で、………おっと、これ以上は秘密です!
【了】
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地上の楽園とすら謳われるシンドリアは、今宵、八人将ヤムライハと食客の帰還の宴で大いに盛り上がっていた。
苦難を乗り越えて築いた繁栄を謳歌するこの国の人々は、誰もが陽気で、食べ、飲み、踊り、歌い、大いに笑う。
そんな楽しい宴の中で特に盛り上がっていたのは、食客アリババを中心にした輪だ。
シャンバルと会話中でも彼らの様子が気になっていたシンドバッドは、賭け好きのシャンバルが闘パパゴラスを見に行くと、早速、アリババの元へ向かった。
「やぁ。皆、楽しそうだな。何の話をしていたんだ?」
「王様、聞いてください! アリババの奴、ついに彼女が出来たんです! 祝ってやってください!」
酔いも手伝って満面の笑顔のシャルルカンが差し出す杯を受け取りながら、シンドバッドは話を聞く。
なるほど、優しく責任感が強く賢いし商才もあって剣術も出来て元王子で王の器とハイスペックなのに何故かモテなかったアリババに、とうとう彼女が出来て、真剣な交際をしているらしい。
「そうか。それはおめでとう、アリババ君。君と彼女との未来に、幸多からんことを!」
「「幸多からんことを!」」
シンドバッドが寿ぎと共に杯を捧げると、周囲から唱和の声が相次いだ。
アリババは、それに照れたのか、自身の服の裾を握り締めながら俯く。
もしこの時、誰かがアリババの表情を確認していたら、祝福を受けているはずの彼が死んだ魚のような目をしていることに気づいたかもしれないが、酒が入った者たちはもちろん、飲酒していない者も、モルジアナは自身の胸にこみ上げてきた痛みに困惑していたし、アラジンですら雰囲気に酔っていたので、誰も気づくことはなかった。
だから、宴は一層盛り上がる。
大人たちは、マグノシュタットで仕入れてきた蒸留酒を飲んで、独特のピートのフレーバーについて議論を交わし、子供たちは、最近流行りの辛いアイスを食べては、口直しと言ってバクラヴァに手を伸ばした。
そのうち、幾度か杯を干したシンドバッドは、酔いも手伝って上機嫌で笑いながらアリババの背中をばしばし叩き出す。
「そうか~。わかる、わかるぞアリババ君!」
「……何がわかるんですか、シンドバッドさん?」
「体中傷だらけで、笑うとかわいくて、優しくて、怪我した時とか心配して一晩中看病してくれる相手が、どれほど大切かということを、俺は理解出来る! 料理も裁縫も上手で、文句を言いつつも甲斐甲斐しいって、いいよなぁ。最初は、そういう対象ではなかったかもしれない。わかりやすく煌びやかな花々に目を奪われて、傍らに居てくれる相手の想いの深さ真摯さに気づいていなかったかもしれない。だが、一度相手の掛替えの無さに気づけば、もう、その相手以外は選べない。……うん、そういうことはある」
しみじみと実感を籠めた口調で呟くシンドバッドに、周囲は目を丸くした。
だって、シンドバッドと言えば、七海一の女たらしとして世界的に有名だ。
自著のシンドバッドの冒険書にも数々のロマンスが記されているし、宴の席では踊り子さんたちにモテモテだし(今も踊り子さんたちがチラチラ見ている)、外交に訪れた国々でも稀代の女たらしとして数々の伝説(一夜明けたら6人の現地妻、などなど)を残している。
その上、結婚はしないと公言し、女を追いかけるのではなく女の方から近寄ってくるのだとはいえ、派手に遊んでいる。
そんな男が、純情な少年の真剣な交際について、己も同じように想う相手がいると言わんばかりに共感を示しているのだ。諸々の夜の覇王伝説を聞き知る皆が、この覇王の心をついに射止めた者がいるのでは、と興味を持たないはずが無い。
俯いていたアリババも思わず顔を上げたし、シンドバッドに近しい者たちはもっと驚いた。
「王様も、そういう方がいらっしゃるんですか!?」
「王妃ですか!? ついに、シンドリアにもお妃様が!?」
「えっ、王様ご結婚ですか!?」
「こらこら、落ち着けお前ら」
シャルルカンは杯を取り落としたことに気づかず、ヤムライハも帽子が落ちたことを気にせず、近くの席にいたピスティまで駆け寄ってきて、すごい勢いで詰め寄ってきたので、シンドバッドは笑いながら諌めた。
諌められたので大人しく座ったものの、恋話が大好物のピスティは、好奇心で目をキラキラさせている。
「だって~、王様がついに1人を選んだのなら、つまり、シンドリアにお妃様誕生ってことでしょ? 結婚式に出席する服を仕立てなくちゃ、ていうかお妃様の花嫁衣装どんなのだろ、てことでしょ?」
「違う違う。俺は結婚しないって、ずっと言ってるだろ?」
シンドバッドは余裕の笑顔だが、周囲は首を傾げた。
「いや、でも、さっきの王様の口ぶりだと……」
王の言葉を疑うつもりはないが納得出来なくて、シャルルカンが眉間に皺を寄せた。
先程王が語った内容は、どう考えても、一夜の相手などではなく長年つきあってきた特別な相手としか思えなかったからだ。
シャルルカンが周囲を見渡すと、同僚も弟子も同じ気持ちらしく、誰もが微妙な表情でシンドバッドを見つめていた。
「プロポーズは何年も前にやったが断られ、その後も幾度かチャレンジしたが、全て玉砕だ」
シンドバッドの発言で、またも周囲が騒然となる。
シンドバッドの顔立ちは男らしく整い、身体も均整が取れた逞しさ。紫紺の髪は艶やかで、豪奢な金属器の煌めきに負けない華やかな空気を身に纏っている。
頭脳は明晰で、世界で唯一7体ものジンに認められた王の器であり、一介の漁村の少年から始まって楽園と謳われる国を作り上げた手腕と人望の持ち主だ。
女性に対して気障な振る舞いはあるが根が気さくで、優しく、寛大。
いざという時の頼もしさは他者の追随を許さないレベルで、判断力と行動力は天下逸品であり、困った酒癖ですら国民には愛嬌として受け入れられている。
七海の覇王シンドバッドとは、男に産まれたならばこうありたい、女に産まれたならばこんな男に愛されてみたい、そういう思慕を捧げられまくっている存在なのだ。
隙が無いものは大衆受けしないことを考えると、欠点の存在も含めて完璧と言っても過言ではない稀代の色男シンドバッドが、よもや、プロポーズを何度も断られているなんて、と誰もが驚愕した。
シンドバッドが真剣に口説いて断り続ける女性がいる、というのがどうにも納得出来ない。
「あー、その、ええと、身分とかを気にして、ということですか?」
敬愛しまくっていてマジリスペクトと言い続けているシンドバッドのプロポーズが断られる、という事実を受け入れられないシャルルカンが、へどもどと尋ねる。
王様はモテる→ならば王様の真似をすれば女心は掴める、と考えてシンドバッドを手本にしているつもりのシャルルカンとしては、人生の指針を見失いそうで不安がこみ上げてきた。
「それはまぁありそうだが、俺がそういうのを気にしてないのは重々承知だから、あいつは、本当に、俺とは結婚したくないんだろう」
シンドバッドが、憂いに満ちたため息を吐いた。その姿は、数多の女性を恋に墜としてもおかしくない程に艶やかで、……どうにも、台詞と噛みあっていない。
「……もしかして、シンドバッド王の片想いですか?」
ヤムライハも、恐る恐る問いかけた。
八人将として側近く仕えている身としては、まるで性質の悪い魔法のように女性を虜にしていくシンドバッドが、近しくつきあいながらも靡かせることが出来ない女性がいるとは、どうにも信じ難いのだ。
「いや、この上無く愛されているぞ。ただ、結婚はダメらしい」
「? 独身主義者ってことですか?」
寛いだ風情に見せながらも実は心に分厚い鎧を纏って本心を隠している今宵のアリババも、あまりにも不可解な言動の数々に、思わず素の声が出た。
「そんなようなものだ。まぁ、結婚はダメでも生涯全力で愛してくれるのはわかっているから、形式に拘る事もないよな、と今は思っているよ。仕事の都合で物理的な距離が離れることがあっても、心は常に傍らに寄り添っていると知っているしな」
「でも……」
理屈は通っているはずなのに何となく納得出来なくて、ピスティは首を捻る。シンドバッドに魅了され忠節を捧げている身としては、この素敵な王を欲しがらない女がいる、という事実を受け入れ難いのだ。
シャルルカンやヤムライハやアリババも同じ気持ちらしく、微妙な表情をしていた。
マスルールだけが気にしていない様子なのが気にかかったピスティが、疑問を言葉にしようとしたところで、シンドバッドの後ろに白い人影が現れる。
「お楽しみ中、失礼いたします。シン様、シャンバル殿が魔力操作について言い忘れたことがあるとか」
慎ましやかな仕草で口元を隠して囁いたのは、シンドリア王国政務官のジャーファルである。
酔っ払えばかなりの酒乱(シャルルカンの口に酒瓶を突っ込んで酔い潰すレベル)になるジャーファルだが、国外の客人もいる今宵の宴で酔うつもりはないらしく、肌はいつもと同じで雪のように白い。
ジャーファルは、宴の浮かれた空気に染まる様子は無く、けれど穏やかに場を慈しんでいることがわかる独特の淡い笑みを唇に刷いていた。
そして、その笑みを浮かべたまま、どうなさいますかここに留まりたいなら私がどうにか言い繕っておきますけど、という意を籠めて小首を傾げたジャーファルを見つめて、シンドバッドはにっこり笑う。
「そうか! では、アリババ君、恋人に叱られない程度に宴を楽しんでくれたまえ!」
快活な笑顔で手を振りながら、シンドバッドは輪を去っていった。ジャーファルが、楚々とした風情でついていく。
「王様に逃げられちゃったね。もっと話聞きたかったのに」
「そのうち話してもらおうぜ。それより今は、アリババの話を聞いてやらねぇとな! おら、2人の出会いとか語れよアリババ!」
ピスティが残念そうに呟くと、シャルルカンは弟子の首をぐいっと引き寄せて笑顔で命じた。場の空気が、シンドバッドが登場する前に戻る。
「……『あいつ』との出会いっていっても、こう、ロマンチックな感じとかじゃなくて、剣を交えたと言いますか」
「おおーっ! いいねぇ! 詳しく話せよ!」
「剣!? トトさんと戦ったのかい、アリババ君?」
こうして、宴の夜は更けて行った。
「おはよう、ピスティ、モルジアナ。なぁ、アリババ君たちは、いったいどうしたんだ!?」
分厚い友情で結ばれた男たちが去ってから何となく黙ってしまった女性2人が、静かにシャコ貝のクリームスープを啜っていると、後ろから声を掛けられた。
シンドバッドだ。
「おはよ、王様」
「おはようございます」
シンドリアは自由な国なので、王にも、臣下たちと一緒の食堂で朝食を食す権利が与えられていた。シンドバッドは、その権利をのびのびと行使し、自室でゆったりと朝食を楽しんだり、食堂で皆と歓談しながら賑やかに食したり、徹夜明けの目を擦りながら執務室で栄養補給をしたり、と気分や都合に合わせていろんな場所で朝食を取っている。
今朝のシンドバッドは、昨夜シャンバルと飲み競争に興じてしまった為にアリババたちの輪に戻って来れなかったので、心荒む仕事の山と戦う前に、若人の初々しい交際の話でも聞かせてもらって微笑ましい気持ちになろうと思って、食堂にやってきたのだが……
「王様、アリババ君たちと会ったの?」
「食堂の入口ですれ違ったんだ。だが、何やら異様な雰囲気で、目を真っ赤にしたアリババ君は、俺の顔を見た途端号泣して走り出すし……」
「あー……」
察しのよいピスティは、すぐに、状況を正確に把握した。
他はハイスペックであってもこの方面においては残念で不器用な上に運が悪いアリババは、見栄が暴かれて心弱くなっている時に、他の方面でも超がいくつも付くハイスペックな上にこの方面にかけては生ける伝説であるシンドバッドと対面してしまって、運命の不公平さを感じざるを得なかったのだろう。
その上、シンドバッドは、昨日、アリババにとっては嘘で夢物語でしかなかった「恋人」を実際に手に入れていると語った男だ。両者の差は、埋め難い程に大きい。
かつてアリババが自身に流れる王族の血を特段意識していなかったように、シンドバッドも、己とアリババのモテ度の差異など気にしてはいないだろう。しかし、父親を嫌悪していたが故に己の血を呪っていたカシムが、アリババを見上げてその違いに絶望を感じたように、シンドバッドを見上げた今朝のアリババもまた、両者の絶望的な違いに打ちのめされずにはいられなかったのではなかろうか。
アリババは運命を呪わない。恨まない。
でもまぁ泣くぐらいはするよね、とピスティは生温い気持ちになった。
「ピスティ?」
「えーと、あのね、昨日の話はアリババ君の嘘だったんだって。お酒飲んでたから気が大きくなっちゃったんだろうね。あの「恋人」って、アリババ君の思い描く理想の恋人像なんじゃないかなぁ。だからね、嘘じゃなくてあんな「恋人」がいる王様に会って、ちょっと動揺しちゃったんだと思うよ」
「そうか」
ピスティの説明に、シンドバッドはあっさり頷いた。
伝説級のモテ男という運命に産まれたシンドバッドは、今のアリババと同じ気持ちを味わった経験は無いので共感は出来ないが、同性に羨まれることには慣れていたので、アリババが号泣した理由に想像がつき、すっきりした顔になってピスティの隣の席に腰掛けた。
その姿を見ながら、ピスティはぼんやりと考える。
アリババのように嘘を吐いたわけでないなら、王の「恋人」とやらは実在していることになる。そして、あの口ぶりならば、長く近しくつきあっているはず。
しかし、ピスティの知る限りでは、そんな女性は見当たらない。紫獅塔の女官かと考えて昨夜探りを入れてみたが、結果は芳しくなかった。
シンドバッドが最も重用している女官は、建国当初から仕えてくれている元バルバッド王宮勤務の女官長だが、彼女はシンドバッドの母と言うべき年代だ。シンドバッドの部屋付きの女官には若く見目麗しい者も多いが、だからこそ、 彼女らの間では抜け駆け禁止のルールがあったし、シンドバッドは彼女らに対して公平に振る舞っていた。
それに、王と政務官という間柄になってからも、最もシンドバッドの世話を焼いているのはジャーファルであり、シンドバッド自身も、ジャーファルに世話されているのが1番居心地良い様子。
執務室付きの文官は男性ばかりだし、執務室付きの女官は女官長と同年代だ。
けれど、恋愛毎に長けたピスティの勘が、昨日のシンドバッドの言葉に嘘はない、と確信しているので、混乱する。
シンドバッドの「恋人」は、一体、どこの誰なんだろう?
「おはよう、ピスティ、モルジアナ。シン、どうぞ」
2人分の朝食をトレイに載せて、ジャーファルが現れた。
朝シンドバッドを起こして支度を手伝うのは、ジャーファルの仕事である。
仕事が立て込んで徹夜した日の朝やシンドバッドが寝過ごしても大丈夫な休みの日の朝には、部屋付きの女官に任せることもあるが、平素は、朝議前の打ち合わせも兼ねてジャーファルが起こしに行き、王らしくなく1人で食事するのを嫌がるシンドバッドの意向で、朝食も一緒に取る。
シンドリア王宮の食堂では、朝は、厨房前のカウンターに並んで料理を受け取るセルフサービスになっている。だから、食堂で朝食を取る朝は、2人一緒に食堂に入り、ジャーファルが2人分の朝食を用意してくる。
今朝の食堂のメニューは、シャコ貝のクリームスープとピタパン。それだけで足りない者には、食堂中央の机に、パパゴレッヤとサラダと白身魚のマリネがビュッフェ形式で用意されている。
しかし、ジャーファルが手にしているのは、2人分のクリームスープと、焼き鯖と玉葱を挟んだ鯖サンドだった。
ジャーファルがシンドバッドとモルジアナの間に座ると、アリババの「恋人」の話が嘘だったことに関してしみじみと安堵を噛み締めていたモルジアナが、顔を上げる。
「おはようございます、ジャーファルさん……鯖?」
シンドバッドに手渡された鯖サンドを見て、首を捻る。さっき、いつもセルフサービスの料理が置いてある場所を見た時には、鯖はなかったはずだ。今朝は胸がいっぱいでスープだけしかもらわなかったが、本来、モルジアナはよく食べる。今朝も、食欲はあまり無いのにいつもの習慣でその場所に視線をやったから、ちゃんと覚えている。
いつの間に鯖が置かれたのだろうか? それとも、自分の覚え間違いか?
「ああ、シンが昨夜鯖サンドが食べたいと言っていたから、頼んでおいたんです。鯖自体はまだありますから、君が食べたいなら作ってきますよ、モルジアナ」
鯖サンドは、パルテビア港町の庶民食で、他所の国では王が口にするようなメニューではない。しかし、シンドバッドは、時々、昔を懐かしんで食べたがった。
「ジャーファルの鯖サンドは美味いぞ、モルジアナ。気になるなら、作ってもらえ」
「ジャーファルさん、料理上手だからねぇ」
ジャーファルの鯖サンドは、ソースが独特だ。ソースは、レモンの皮をすり下ろした物にレモン果汁と塩と唐辛子パウダーを入れて作る。このソースが、鯖の青臭さを抑えてあっさり食べさせてくれるのだ。
「え、ジャーファルさんが作ったのですか?」
「いやいやモルジアナ、鯖は料理長が焼いてくれてましたよ。私は、その後、少し手を加えただけです」
「なぁ、お前の鯖サンドのレシピ、教えろよ」
「嫌ですよ。パルテビアの人気屋台であなたが気に入ったとおっしゃるから、頼み込んで、口外法度の約束で教えてもらったんです。私は、約束を破ったりしません」
「ケチ」
「あんたと違って誠実なんですよ。それに、あんたが食べたい時は私が作るから、レシピを知る必要なんてないでしょ」
「外交先で食いたくなった時はどうすりゃいいんだよ」
「シンドリアに帰ってくるまで、我慢なさい。それに、外交先の宿泊施設の料理長に、鯖サンド作らせるつもりですか、あんたは」
「俺が自分で作るから、大丈夫だ。元漁師だから、魚捌くの得意だし」
「バカシン! あんたって人は、王の自覚を持てと私が普段あれだけ……」
いつも通りの、熟年夫婦みたいな主従のやり取りを聞きながら、昔作ってもらったジャーファルの鯖サンドの味を思い出していたピスティは、ふと、気づいた。
「………あ!」
思わず声を上げたのも無理は無い。
昨夜からずっと考え続けてきたシンドバッドの「恋人」の正体に、やっと、思い至ったのだ。
シンドバッドの「恋人」は、長く近しくつきあっていて、料理も裁縫も上手で、文句を言いつつも甲斐甲斐しく、体中傷だらけで乱暴なところもあるけれど優しくて、怪我をしたら一晩中看病してくれ、生涯全力で愛してくれるけど、結婚は断固拒否する人物。
その条件全てに当てはまる人が、目の前にいるではないか!
ピスティが勢いよく首を振って隣のシンドバッドを見つめると、シンドバッドはニヤっと笑った。
「愛しているぞ、ジャーファル! 結婚して、毎日俺の為に鯖サンドを作ってくれ!」
「シンっ! まだ寝惚けてんですか、あんたはっ!!」
4人目のマギであるアラジンが選んだアリババ王の「恋人」は、残念ながら捏造でした。彼が語ったのは、彼の夢であり理想だったのです。
けれど、彼はとてもいい人なので、いつかきっと、本物の「恋人」を手に入れることが出来るでしょう(赤毛の健気な少女とかね)。
若き彼の未来に幸あれ!
さて、一方、七海の覇王の「恋人」は、そばかすで、仕事中毒で、元暗殺者で、………おっと、これ以上は秘密です!
【了】
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